訃報・タイキシャトル号

 今日、1頭の名馬が天に召されました。フランスのG1・ジャック・ル・マロワ賞など国内外G15勝を挙げたタイキシャトル号が28歳で老衰による心不全のため北海道の引退馬施設で亡くなりました。

 タイキシャトル号は美浦藤沢和雄厩舎から4歳(当時の年齢表記・当時は数え年)の6月にダート戦で競走馬デビューしています。デビュー戦と2戦目はダートのレースを使っていましたが、3戦目から初めての芝のレースを走り勝利しています。その次は初の関西遠征レースでしたが2着に敗れています。

 3か月後には初の重賞挑戦であるダートの重賞・ユニコーンステークスに出走し、2着のワシントンカラーに2馬身半の差を着けて勝利しました。この時は単勝3番人気でした。その後はマイルチャンピョンシップの前哨戦であるスワンステークスに出走、岡部幸雄騎手が同厩のG1・高松宮杯(当時)の勝ち馬であるシンコウキングに騎乗するため代役として横山典弘騎手に乗り替わることになりました。レースは3番手から抜け出し、追い込んできた1番人気のスギノハヤカゼに4/3馬身差を着けて勝利しました。この勝利でマイルチャンピオンシップの有力馬に躍り出ました。

 ダート・芝の重賞を連勝し、迎えたマイルチャンピオンシップではG1馬が6頭も出走しており1997年の桜花賞馬のキョウエイマーチ、1995年の皐月賞馬・ジェニュイン、スプリンターステークスを勝ったヒシアケボノ、同じ藤沢厩舎であるシンコウキング、朝日杯3歳ステークス(現在は朝日杯フューチュリティステークス)を勝った

マイネルマックス、NHKマイルカップの初代覇者・タイキフォーチュンが出走、更にはあのサイレンススズカも出走しています。

 ちなみに1番人気は4歳ながら安田記念に出走し3着に好走したスピードワールドでした。タイキシャトルは2番人気です。

 レースはキョウエイマーチが1000メートル56秒5というハイペースで引っ張り、サイレンススズカヒシアケボノが続く中、前から4,5番手を追走したタイキシャトルは直線でサイレンススズカヒシアケボノがハイペースに巻き込まれ、相次いで失速し後退する中、タイキシャトルは横山騎手のゴーサインに瞬時に反応すると、直線でキョウエイマーチに2馬身の差を着けて快勝し、G1初制覇となりました。因みに4歳馬(当時)が勝利したのはサッカーボーイ以来9年ぶりでした。この時陣営は将来の海外遠征のプランを立てており、G1制覇で現実味を帯びていました。

 その後は手綱が岡部騎手に戻り、12月のスプリンターズステークスに出走しここでは単勝1.9倍の1番人気に支持され2着のスギノハヤカゼに1.3/4馬身を付けてG1連勝を果たしました。同年にマイルチャンピオンシップスプリンターズステークスを勝利したのはタイキシャトルが初めてです。

 この勝利でタイキシャトルはJRA最優秀スプリンターの栄誉を獲得いたしました。

 ちなみに年度代表馬牝馬として17年ぶりに天皇賞・秋を制したエアグルーヴでした。タイキシャトルは惜しくも年度代表馬にこの年は成れませんでした。

 翌年は最大の目標を安田記念に定め、前哨戦である京王杯スプリングカップに出走します。因みに放牧先の寒さで蹄に亀裂が入るアクシデントが起こり出走が危ぶまれていました。そこで装蹄師は4本の釘で蹄鉄を打つ製法(フォーポイント)を用い、無事出走に漕ぎ着けました。レースは休み明けながら単勝1.5倍の1番人気に支持され、好スタートから好位置に着け、直線で力強く抜け出し2着のオースミタイクーンに1 1/2馬身差を着け1分20秒1のレコードタイムで勝利しました。藤沢調教師もG2でこのポテンシャルの高さに絶賛したそうです。

 迎えた安田記念は大雨であいにくの不良馬場になりましたがそれでもタイキシャトルの強さは初の不良馬場を物ともせず、単勝1.3倍の圧倒的な人気で2着の香港からの遠征馬オリエンタルエクスプレスに並びかけるも力強く抜け出し、2馬身半の差を着けて勝利しました。不良馬場の適性を証明し、いよいよ海外遠征(フランス)に挑むことになりました。

 遠征レースとして選んだのはフランスのマイルG1最高峰であるジャック・ル・マロワ賞でした。(ドーヴィル競馬場・芝直線1600メートル)

 7月21日にフランスに到着し、現地で調整が行われました。

 迎えたフランスG1ジャック・ル・マロワ賞では1番人気に支持され(強敵と見られていたインディカブが回避)逃げるケープクロス英ダービー凱旋門賞などG16勝のシーザスターズの父馬)の2番手でレースをし、残り100メートルで岡部騎手が仕掛けると、すぐさまケープクロスを競り落とし、最後は追い込んできた2番人気のアマングメンを半馬身差抑えての勝利となった。その前の週ではシーキングザパールがG1モーリス・ド・ゲスト賞に勝利しており、2週続けて日本調教馬がフランスのG1に勝利した。

 この一方は日本のスポーツ紙で一面に表記された。

 帰国後のタイキシャトルは凱旋レースとして連覇を目指すマイルチャンピオンシップに決まった。レースは好位追走で直線に入ってすぐに先頭に立つと2着に5馬身差の圧勝劇を飾りマイルチャンピオンシップ連覇を果たした。

 自走のスプリンターズステークスで引退が決まっており、最後のレースであるスプリンターズステークスに出走したがマイネルラヴシーキングザパールにタイム差なしの頭差、首差の3着に敗れ有終の美を飾ることはできませんでした。

 レース後には引退式が行われこれまでの成績が紹介されました。

 1998年度に短距離馬としては初となるJRA年度代表馬に輝きました。

 2017年まで種牡馬生活を行っていましたが、これまでの代表産駒はNHKマイルカップを勝ったウインクリューガーフェブラリーステークスを勝ったメイショウボーラーがいます。

 母の父としてもG13勝のストレイトガール、ダービー馬のワンアンドオンリー桜花賞を勝ったレーヌミノルなどを輩出しています。

 1999年には競馬の殿堂入り(顕彰馬)を果たしています。

 謹んでタイキシャトル号のご冥福をお祈りいたします。