2000年の日本ダービー馬・アグネスフライト号が死亡

 2000年の日本ダービー馬で、騎手時代の河内洋・現調教師にダービー制覇をもたらしたアグネスフライト号が昨日老衰のため26歳で亡くなりました。

 アグネスフライト号は父がサンデーサイレンス、母が1990年の桜花賞を5戦5勝で無敗のまま勝利したアグネスフローラで、その母が河内洋騎手に初のクラシックタイトルをもたらしたアグネスレディーという血統です。

 現役時代所属した厩舎は母と同じ栗東の長浜厩舎です。デビューは3歳(旧4歳)時の2月でしたが、初戦を見事に勝利し、2勝目は現在行われていない4歳のオープン特別である若草ステークスでした。その後開催時期が秋から春になった京都新聞杯(開催時期以降の際にG3に格下げされていましたが、現在はG2に戻っています)に出走します。このレースで重賞初制覇となり、獲得賞金でダービー出走の権利を獲得しました。(通算3勝目です)

 迎えた日本ダービーアグネスフライト皐月賞上位組に次ぐ3番人気でした。(1番人気はエアシャカール、2番人気はダイタクリーヴァでした)

 レースの最後の直線でエアシャカールが抜け出しますが、河内騎手の思いが通じたのかアグネスフライトエアシャカールに並びかけ激しい争いとなりましたが、最後は僅か7センチの鼻差でエアシャカールを躱し、第67代の日本ダービー馬に輝きました。同時に母子3代によるクラシック制覇となりました。

 騎乗した河内騎手はダービー17回目の騎乗で初制覇となりました。(ダービー初制覇までの騎乗記録1位は柴田政人騎手と2月で騎手を引退する福永祐一騎手の19回です。初制覇の騎乗記録でいえば第3位になります)

 その後は1勝もできずに競走生活を終え種牡馬になりますが、産駒の活躍が無い為種牡馬を引退してしまいました。(全弟のアグネスタキオン種牡馬として2008年のリーディングサイアーに輝いています)

 2000年のダービー馬、アグネスフライト号のご冥福を祈ります。