南海・オリックス他で活躍した門田博光さんが死去

 本日、一人の名スラッガーが天に召されました。

 南海ホークスオリックスブレーブス(現・オリックスバッファローズ)、福岡ダイエーホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)の3球団で活躍し、歴代3位となる通算本塁打数567本の記録を持つ名選手、門田博光選手がお亡くなりになりました。

 享年74歳でした。

 門田博光選手は昭和23年2月26日生まれで、1970年のドラフトで南海から2位で指名されました。

 選手生活は実に22年に及びます。高校時代は奈良県の名門・天理高校で甲子園出場を果たし、社会人チームのクラレ岡山からプロの世界に入りました。

 プロ2年目の71年には31本塁打、120打点を記録し初タイトルとなる打点王を獲得しました。

 79年にはアキレス腱断裂という大けがに見舞われましたがそれでも不屈の闘志で復活を果たし、81年には41本塁打カムバック賞を獲得し、88年には40歳で44本塁打、更には打点王も獲得し2冠王に輝くなど南海ホークスの主砲として活躍しました。(40歳で記録した44本塁打は最高齢での40本以上の本塁打記録です)

 89年からは阪急から親会社が変わったオリックス・ブレーブスに移籍。チームの主力選手としても活躍しました。

 91年からは古巣であるホークスに戻るなど本塁打を狙ったフルスイングでファンを魅了し続けました。

 44歳まで現役を続け、通算本塁打は歴代3位となる567本塁打、通算打点も歴代3位となる1678打点を記録しました。

 引退後は持病の糖尿病が悪化するなど病気との戦いもありました。

 2006年には野球殿堂入りを果たし、「これで人生の終着駅に来たのかなあ・・という気持ちもする」と語っていました。

 史上最年長記録のMVPとなる40歳での受賞はこれまでも破られないでしょう。

 豪快なフルスイングでホームランを量産した門田博光さんのご冥福をお祈りいたします。(YOUTUBEで門田選手にヤジっている当時の阪急ブレーブス・応援団長の今坂さんに豚まんやるぞ!と言われてしまっている門田さんの表情が見れる動画もあります。チャンネル名は世界の球場からです)