悲運の名馬と言われた・テンポイント号(2歳・3歳編)

 競馬ファンならこの名馬を知っている方々も多いでしょう。

 1973年生まれの名馬である「テンポイント号」です。

 父はコントライトで、母は1966年(昭和41年)の「第26回桜花賞」に優勝したワカクモで、その母は馬伝染性貧血(伝貧)と言われながらも、奇跡の生還を果たしたクモワカです。

 全弟に当時の阪神障害ステークスを3回、中山大障害を2回優勝したキングスポイントがいます。

 この馬は2歳の時に栗東の小川佐助厩舎に入厩します。

 そして競走馬としてのデビューは函館競馬場の芝1000メートルでした。

 騎手は小川調教師が指名した鹿戸明騎手を背に、芝1000メートルの3歳(当時は数え年です)レコードを0.5更新しての圧勝でした。(2着に10馬身差)

 2戦目は11月の条件戦であるもみじ賞(現在のもみじステークス)で、2着に9馬身差の快勝でした。

 この勝利でテンポイントは関西のクラシック候補に名乗りを上げます。

 3戦目は西の3歳王者を決める、阪神3歳ステークス(現在の阪神ジュベナイルフィリーズで、当時は東西とも3歳ナンバー1決定戦が行われていた)となります。

 このレースで当時関西テレビの競馬実況アナウンサーである杉本清さんが「見てくれこの脚、これが関西期待のテンポイントだ」と実況していたことは有名な話です。

 阪神3歳ステークスを2着に7馬身差を着けての勝利を果たし、この年の最優秀3歳牡馬に選ばれました。(当時)

 4歳になってからのテンポイントはクラシックに向けて早めに東上し、東京4歳ステークス(現在の共同通信杯です)は、後のダービー馬であるクライムカイザーを1馬身差で退け、続く皐月賞トライアルのフジテレビ賞・スプリングステークスも快勝し、デビューから無敗の5連勝でクラシック第1冠目の皐月賞にコマを進めます。

 ところが厩務員のストライキによる影響で皐月賞は1週間順延になってしまいます。

 1週間遅れで迎えた皐月賞では、この馬にとっての「終生のライバル」と呼ばれる馬があらわれます。

 大種牡馬であるテスコボーイを父に持つ、トウショウボーイです。

 このレースでは、トウショウボーイが2番人気でしたので、テンポイントは1番人気になっています。

 レースの結果はトウショウボーイテンポイントに5馬身差を着けて勝利し、トウショウボーイはデビューから4連勝で無敗の皐月賞馬に輝きました。

 続く日本ダービーでは鹿戸騎手の落馬負傷に伴い、武邦彦騎手が騎乗しました。(後にトウショウボーイの主戦騎手になります)

 日本ダービーはクライムカイザーの7着に惨敗してしまいます。(その後に骨折が判明します)

 秋の初戦は古馬のレースである京都大賞典でしたが、古馬相手に3着と健闘します。

 そして迎えたクラシック最終戦菊花賞では直線で抜け出しますが、うちから伸びてきたグリーングラスに競り負けてしまいました。(トウショウボーイとクライムカイザーには先着しています)

 杉本清アナウンサーは「それいけテンポイント!鞭などいらぬ!」と、テンポイントを応援する実況をしていました。

 年末最後の大一番である有馬記念でも、トウショウボーイの2着に敗れてしまいます。(勝ちタイムは当時の中山2500メートルのレコードでした)

 そして来年のテンポイントはこれほどにもない強さを発揮していきます。

 続きはこの後となりますので、ゆっくりとお待ちください。