1973年にアメリカ競馬史上9頭目となる三冠馬に輝いた「セクレタリアト」の「ゆっくり解説動画」全9本の第1回目と成る動画を私のブログにて貼り付けさせていただきます。
1本目は1970年3月にこの世に生を受けた時のエピソードとなります。
セクレタリアトが生まれた牧場はアメリカ・ヴァージニア州キャロライン郡の「メドウステーブル」において、1970年3月に産まれました。
「メドウステーブル」の所有者である「クリストファー・T・チェネリー氏」は、セクレタリアトが産まれたころには重い病気を患っていたこともあり、娘の「ヘレン・”ペニー”・チェネリー女史」に「メドウステーブル」の経営権を引き継がせていました。
更にこのエピソードでは、セクレタリアトの父馬である名種牡馬「ボールドルーラー」の所有者である「ホイートリーステイブル」の代表者である「グラディス・ミルズ・フィップス夫人」の息子である「オグデン・フィップス氏」は、ボールドルーラーの種付け料を無料にする代わりに誕生する仔馬をかけて生産者との間でコイントス勝負をするという一風変わった勝負のかけ方をする方でしたそうです。
具体的には、ボールドルーラーと交配される予定の2頭の繁殖牝馬が、今後2年間で産む仔馬を対象としてコイントスで勝った人が、選んだほうの牝馬が翌年に産む子と、選ばなかったもう一方の牝馬が翌々年に産む子の所有権を獲得し、負けた方が勝った人が選ばなかった方の牝馬が翌年に産む子と勝った人が選んだ牝馬が翌々年に産む子の所有権を獲得するというものでした。
これはボールドルーラーを種牡馬として繫養していた「クレイボーンファーム」の所有者である「アーサー・ブル・ハンコック・ジュニア氏」の入れ知恵だったらしく、「ホイートリーステーブル」の繁殖牝馬だけになってしまうという懸念があったのだと動画の中で説明しています。
そしてコイントスで敗戦した「メドウステーブル」の「ヘレン女史」は、1970年に産まれる事となる「サムシングロイヤル」の産駒の所有権を獲得することになりましたが、産まれた仔馬が後にアメリカ競馬史上9頭目の三冠馬となるセクレタリアトだったのです。
2歳になるとフロリダに移動したセクレタリアトですが、とにかく大食漢で食べた後は寝たりしていたり、厩舎のポニーと戯れたりしていたそうです。
2歳時にはすでに大柄な馬として知られていたセクレタリアトですが、次回以降の動画では大食漢のおデブな馬からムキムキな筋肉隆々な馬へと変貌していく解説動画となっていますので、次回以降の動画をお待ちください。(あと8本有りますので、ゆっくりお待ちください)