「皇帝」と呼ばれたシンボリルドルフのG1勝利の全レースを収録した動画です


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 1984年に日本競馬史上初となる無敗の三冠馬となった「皇帝」シンボリルドルフの全G1勝利を収録した動画を私のブログにて貼り付けさせていただきます。

 1983年の新潟競馬場・芝1000メートル(当時は右回りでした。現在は直線1000メートルコースが出来たので左回りとなっています)でデビューしたシンボリルドルフは1000メートルのレースにも拘らず1600メートルのレースをしていたというエピソードがあるほどで、2着に4馬身差を広げて勝利した後は続く2戦目のいちょう特別(現在のサウジアラビアロイヤルカップ・G3)でも危なげなく勝利し、(この時の2着馬は1987年に東京新聞杯・G3に勝利したエビスショウリという馬でした)その後3戦目となる3歳オープン(この日は第3回ジャパンカップの日でした。優勝したのはアイルランドのスタネーラでした。2着には前走3200メートルの天皇賞・秋を制したキョウエイプロミスで、日本馬として初となるジャパンカップ対馬となりました)にも危なげなく勝利して3歳(当時は数え年でした)のシーズンを終え、来年のクラシックに向けて休養します。

 そして迎えた4歳初戦の弥生賞(当時はG3で、1987年にG2になりました。2020年からは史上2頭目となる無敗の三冠馬である2005年の勝ち馬でもあるディープインパクトを記念して、「報知杯弥生賞ディープインパクト記念」に名称変更されています。今年はダービーを制したタスティエーラが勝利しています)では、ライバルのビゼンニシキに競り勝って無敗の4連勝となり、一躍クラシック候補となります。

 迎えた皐月賞シンボリルドルフビゼンニシキの2頭が単枠指定となり、人気もこの2頭で決まると言われていました。

 結果はもちろんシンボリルドルフの勝利で、勝ちタイムもビンゴガルーレコードタイムを上回る2分1秒1と言うタイムでまずは1冠目の皐月賞を制しました。

 続くダービーでも2頭が単枠指定され、結果的にはシンボリルドルフが危なげなく2冠目となるダービーを無敗の6連勝で制し、鞍上の岡部幸雄騎手は2本指を立てて2冠制覇をアピールしていました。

 夏を乗り切ったシンボリルドルフ中山競馬場の芝2200メートルで行われるセントライト記念(当時はG3、現在はG2)にも勝利し、初の関西遠征となる菊花賞京都競馬場・芝3000メートル)に挑みます。

 ここまで7連勝のシンボリルドルフですが、最後の直線でゴールドウェイに迫られるも4分の3馬身差で退けて見事に勝利し、8戦8勝で日本競馬史上初となる無敗の三冠馬に輝きました。

 その後は中1週でジャパンカップに挑みますが、カツラギエースの大逃げに屈し初の敗戦となる3着になってしまいました。

 そして年末の大一番である有馬記念ではミスターシービーカツラギエースと共に単枠指定となり、正に1984年の大一番と言える名勝負となり、最後の直線でカツラギエースをとらえると正に力強く脚を伸ばしての勝利となり、4歳で4冠制覇と言う快挙を達成すると同時にレースタイムも2分32秒8で、中山競馬場芝2500メートルのレコードタイムとなりました。

 勿論この年の最優秀4歳牡馬(当時)と1984年度代表馬となりました。

 翌年の1985年は日経賞から始動し、2着に4馬身差を着けての快勝となり、いよいよミスターシービーと3度目の対決となる春の天皇賞京都競馬場・芝3200メートル)を迎えます。(当時は昭和天皇の誕生日である4月29日に行われていました)

 勿論3200メートルの長距離にも拘らず最後の直線でも力強く抜けては2着のサクラガイセンに2馬身半の差を着けての勝利を果たし、シンザン以来となる五冠馬の称号を獲得することになりました。

 続く春の総決算でもある宝塚記念は、レース直前に左肩跛行の為に出走取り消しとなってしまいました。

 春の天皇賞以来となるレースとなった秋の天皇賞は13番人気の伏兵であるギャロップダイナに敗れてしまいましたが、続くジャパンカップでは世界各国の馬たちを見事に退けての勝利で、シンボリルドルフの強さを見せつけたレースともいえます。

 更にこのレースで2着になったのが公営船橋競馬所属のロッキータイガーで、ジャパンカップでは初となる日本馬同士の1・2着独占となっています。

 そして国内最後のレースとなった有馬記念でも、この年のクラシック2冠馬であるミホシンザンに4馬身差を着けて勝利し、当時の最高記録となるG1レース7勝となる金字塔を打ち立てました。

 翌年はアメリカに遠征しましたが、初戦となったサンルイレイステークスで6着に敗れてしまいました。

 その時脚に故障をしていたとの事で、帰国後にこのまま引退を余儀なくされてしまいました。

 通算成績は15戦13勝・2着と3着が共に1回づつでした。

 シンボリルドルフは12月の中山競馬場で引退式を行い、その後は生まれ故郷の北海道・シンボリ牧場で2004年まで種牡馬生活に入り、奇跡の名馬と言われたトウカイテイオーを輩出しました。

 シンボリルドルフは2011年の10月4日に30歳と言う高齢で老衰のためにこの世を去りました。

 今年でシンボリルドルフが競走馬としてデビューしてからちょうど40年になり、翌年は無敗の三冠達成から40年になります。

 今年と来年、2年連続でシンボリルドルフに関する年でもあるので、この機会にシンボリルドルフの全G1勝利を収録した動画を視聴して偉大な名馬の足跡をたどってみてはいかがでしょうか。