本日、偉大な漫画家が天に召されていきました。
80年代の週刊少年ジャンプ黄金期を支えた漫画である鳥山明さんが急性硬膜下血腫という病気のために亡くなりました。
1955年4月5日生まれの68歳でした。
鳥山先生は高校卒業後の1974年に地元の広告デザイン会社「第一紙行名古屋支店」に就職し、デザイナーとして活動していましたが1977年の1月に「第一紙行名古屋支店」を退職して1978年1月に「週刊少年ジャンプ」の新人賞である月例ヤングジャンプ賞へ応募作品の「アワワワールド」を投稿しましたが、惜しくも入賞には届きませんでした。
その後「週刊少年ジャンプ」の編集者である鳥嶋和彦さんは「この人はきっと売れっ子漫画家になる可能性がある」ということを見抜いていて、その後見事に売れっ子漫画家にするために「没」を出しながら作品を作る鳥山先生の努力を買っていたのです。
1978年に漫画家デビュー後はほとんどが読み切り作品を執筆していて、担当編集者である鳥嶋さんと「面白い漫画を描こう!」と打ち合わせをしながら努力を続け、そして1980年に「ドクタースランプ」の連載を開始いたします。
その翌年1981年には「ドクタースランプ・アラレちゃん」がフジテレビ系列でテレビアニメ化されました。(1986年2月まで放送され、1997年11月から2年間リメイク版が放送されました)
「ドクタースランプ・アラレちゃん」が大人気アニメになると一気に人気漫画家の仲間入りを果たし、「ドクタースランプ」の連載は1984年の8月まで続きました。
「ドクタースランプ」の連載後は、世界中で大人気となった作品である「ドラゴンボール」の連載を1984年の11月から開始し、1995年の第25号で10年にわたる連載を終了しています。
その後は人気ゲームである「ドラゴンクエスト」のキャラクターデザインなどを担当し、新しいコンテンツ作品である「サンドランド」に全力を尽くしていました。
「ドラゴンボール」のテレビアニメの方も1986年2月から1997年11月まで3作品がフジテレビ系列で放送され、高視聴率を記録しました。
今後も活躍してくれるだけに惜しまれます。
このニュースは世界中でも報道されていて、「日本の偉大なるコミック作家が死去した」と報道されているのです。
鳥山明先生、長い間本当にお疲れさまでした。
あなたの生んだ2つの作品は永遠に記録に残るでしょう。
ゆっくりとお休みください。